7月14日
雨水利用の墨田区、そして靖国へ
洪水と渇水。今世紀頻繁に起こると言われている異常気象の象徴とも言える昨年の台風と今年の渇水。その対策としていつも浮かび上がってくる「ダム」。はたして今世紀これから、コンクリートの新設ダムは必要なのか否か? その答えを探す手がかりとして、国技館などの雨水利用で有名な東京都墨田区を尋ねた。
墨田区はコンクリート被覆率8割、大雨が降れば地下に浸透せず、ほとんどが下水管に流れ込む。下水道は雨水の5割が地下浸透するものとして設計されているようで、下水の逆流が飲み水を汚染するという事態が頻繁に発生していたという。
優れた政策の陰にいい人材あり!!
90年当時、保健所の薬剤師として汚染された生活用水の消毒を担当していた村瀬さんから説明を受けた。「消毒より、洪水をなくしてほしい」という住民の声になんとか応えたいと雨水利用の研究を始め、ネットワークにより仲間を増やした。区長に働きかけて日本相撲協会に交渉し、新国技館の設計変更にいたり雨水利用システムを導入した。区も率先して雨水利用をしようと、区役所をはじめ新設の区の施設に導入し、現在77のビルと約300基の個人設備で1万トンの雨水を貯められるそうだ。これは非常時20万人分の一日の生活用水となる。
阪神大震災の時には全国から飲み水は届けられたが、トイレの水など生活用水に困ったのだ。ちなみに徳島県は今年の那賀川で工業用水渇水対策に毎日100万円以上かけて1000トンの水を運ぶようになった・・・。
雨水利用に過剰な期待は禁物だが、南海・東南海地震など危機管理の重要なこの時代に、ライフライン(大型ダムや下水道)からライフポイント(雨水利用や合併浄化槽)へという発想の転換は必要だ。大きなビルを立てるときに必然的に出来る地下の空洞を利用するので、思ったより経費はかからないらしい。これをトイレの水に利用すれば、高い水道料金を払わなくて済む分、5〜6年で設備投資費用を回収出来るので、民間業者も積極的らしい。ここが重要なポイントだ。気になる酸性雨だが、酸性は初期降雨であり、コンクリートのアルカリと中和してかえって良い水質になることはテスト済み。う〜ん、研究の余地おおいにあり!
8月初めの世界雨水フォーラムの準備で、世界中から問い合わせが相次ぎ、前夜は徹夜だったという村瀬さん。豊岡さんとたったふたりの視察だったけど、とても情熱的に話をしてくださって、たくさん元気と勇気をいただいた。
ありがとうございました。墨田区の雨水利用。
いざ、靖国へ!
午後は、すみだ環境ふれあい館を視察し、その後、外交問題として今大変な靖国神社へ。
議員になるなどと想像もいなかった少し前、しばしば話題になっていた首相の参拝問題について、そして靖国神社について「戦争の犠牲になった人々の魂を追悼のために靖国に祀ってある。それ自体は当たり前のことだし、日本の代表である首相が追悼するのはある意味当然。ただしA級戦犯が合祀してあることがアジアの人々の逆鱗に触れるのだから、分祀するか、別の国立の施設をつくるべきだろう。」というのが私の認識だった。これはきっと多くの日本人と同じではないかと思う。そして「政教分離」と言っても、「キリスト・イスラム・オウム真理教などは「宗教」だけれど(いっしょにしてごめんなさい)、はたして神社にお参りすることが宗教なのかなあ」と感じてもいたのだった。日本人は「神仏融合」の思想の影響か、いろいろな宗教を越えた別のところに神道があるという意識があるのではないか、少なくとも私はそうだった。仏教徒の家でも初詣に行く感覚だ。
しかし、靖国は宗教法人である事実のとおり、当たり前だが靖国はとてもとても宗教だった。「戦争犠牲者を追悼」まではするべきだし、文句はない。(ただし靖国には原爆犠牲者や一般市民の犠牲者は祀られていない。あくまで軍人だけなのだ。)しかしその追悼はここでは「かわいそう」「国の犠牲」「犬死に」であっては決してならないのだった。「誇り」「英雄」と褒め称えることが、靖国の存在理由。それがこの日にはっきりわかった。犬死にだと戦争は二度と起こしてはならない、となるが英雄だと自衛のためなら仕方がない、となる。ここでは、太平洋戦争もはっきり「自衛のため」と言い切っている。
神社内の資料館「遊就館」には戦車やゼロ戦、魚雷が誇らしげに展示されていた。「戦争が悲しい」というだけからは決して発想できない。映画も上映されていた。
とっても嫌だったけど、「せっかく来たのにこれを見ないと!」と豊岡さんの声に勇気を出して「日露戦争から太平洋戦争」を描いた50分のドキュメンタリー映画を見た。全編をとおして、戦争の動機は「国を守るために仕方がなかった」ということで貫かれ、反省の言葉はひと言もなかった。日華事変も「1人の中国人の発砲によって始まった」となっていた。「資源のない小国ニッポンはこうするしかなかった」と、本当に反省はなかった。合祀されていることに屈辱を感じ、裁判を起こしているという台湾の先住民高砂族の子孫もこの映画ではどうしたことか「日本軍を誇りに思う」と証言していた。東京軍事裁判も無効だと当時の裁判長が言ってということだが、本当だろうか?
ラストは戦友を亡くした80才くらいの方が「国立の追悼施設をつくる話はとんでもない。みんな、『靖国で会おう!』を合い言葉に死んでいったのです。」と涙を流して訴える場面で映画は終わっている。
宗教とは「生きる意味」「死ぬ意味」「死んだらどこに行くのか」というようなことを定義づける性格のものだが「お国のために生きる」「天皇陛下のために生きる」「お国ために死ぬ」「死んだら靖国神社の神になる」。これこそが靖国宗教なのだ。
この日は「みたままつり」の2日目で参道は普通のお祭りのような縁日で、浴衣姿のかわいい若い子たち、子どもたちと家族連れ、カップルで賑わっていた。きっと、「戦没者を追悼する」という純粋な気持ちの人ばかりではないかとも思う。そういう普通の人々の感情を利用して巧みに少しずつ戦争を美化しようという一部勢力(権力)はとても大きいのだろう。
遊就館の中に来訪者の感想を書き留めるノートのコーナーがあった。「偏った思想だと思う」的な感想がたくさんあったのに、少しだけ救われた気がした。
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