8月9日
爆心地より1km地点から奇跡の生還
〜被爆者体験を聞く〜
長崎原爆記念日のこの日、徳島県生協連主催の講演会を聴きに鳴門ドイツ館へ。
今年は戦後59年。戦争体験者が次第に減っていく中、右傾化するこの国にあって、是非、被爆された方の生の声を聞きたいと常日頃から思っていた。
90年代からの大きな社会的潮流であり政治を巻き込みながら前進する、グローバリゼーション(大企業がより競争しやすい仕組みづくり)と日本の軍事国家への脱皮。
教育基本法改正と憲法改正は二大政党化する国会の中で避けられないのか?
第二次大戦の悲惨な体験から私たちが学んだものを風化させてはならないと、毎年夏になると繰り返される「非戦」「不戦」「平和」のイベント。
この日の講演会も心から平和を願う人々により実現した。
会場は満員、スタッフの佐々木有さんの報告書をご本人のご了承をいただき掲載します。
8月9日長崎原爆記念日、鳴門市ドイツ館で行われた竹本成徳氏(前日本生協連会長)の「ヒロシマでの被爆体験を語る!〜爆心地1kmで奇跡的に生き残る〜」に100名の県民、組合員が参集し、氏の実体験に聞き入りました。
「一瞬の閃光により、皮膚が焼け爛れ、ぼろ雑巾のように垂れ下がり、まだ生きているからこその痛みに耐えかねて、みんな手を上げて、歩く様はまさに阿鼻叫喚、生き地獄でした」など、原爆投下直後のヒロシマの町と被爆者の惨状の事実をありのままに語られる内容は、息を呑むことばかりでした。
さらに、実のお姉さんが市電で被爆され、お父さんがリヤカーで家まで連れ帰った後「先立つ不幸をお許し下さい」との言葉を最後に亡くなったこと、人の親としての心情を思いやると涙が止まりませんでした。
多くの参加者からもすすり泣く声がいたるところからもれておりました。「こうした惨状と不幸がほとんどの家族を襲いました。」と語られました。
最後に氏は、「こうした許されない原爆という惨状に出会い、肉親を殺された恨みを晴らすためにパイロットになり敵を討とうと決意もしたが、後日、終戦までにアメリカ軍の兵士の死を見る機会があった際には、恨みよりもこうした悲劇そのものがいかんと思う自分がいた。
そして戦後、平和の尊さをかみしめている。戦争はいかん、絶対にやってはいけないと思う。」と結ばれた。
これは、賀川豊彦の「暴に対して、暴で報いるのではなく、徳をもってなす」という精神に通じるもの、戦後、ヒロシマの人、そして日本人は、暴で恨みを晴らすのではなく、平和を願い実現することで恨みを昇華したといえるのではないかとの感想が聞かれました。
参加者は、講演会を主催したNPO賀川豊彦記念鳴門友愛会、徳島県生協連の役職員・組合員、そして多くの県民の方に混じり、高井美穂衆議院議員や吉田益子県会議員の顔も見られました。
この報告では氏の話の内容を万分の一も伝えることはできませんが、
2時間があっという間に過ぎさった講演でした。
講演会終了後、原爆投下の日の惨状と姉冷子(すずこ)さんの亡くなる時を綴られた竹本氏著書「最後のトマト」のサインセールも大盛況でした。
この講演会の成功のために奮闘していただいた関係者の皆様に取り組んできたものの一人として心よりお礼申し上げます。
(文責 佐々木 有)
講演を終えて鳴門市賀川豊彦記念館で
記念撮影に応じられた竹本成徳氏です。
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