10月13日
きらり!我孫子市政 〜前市長、福嶋浩彦さん講演〜
徳島市議の村上稔さんのお誘いで、香川県議の渡辺智子さん、高松市議の植田真紀さんらが主催した学習会に参加した。講師は前我孫子市長(千葉県)の福嶋浩彦さん。8月に滋賀で行われた国民投票関係のシンポジウムのパネリストとしての彼の話を聴いた。
市長を3期努め引退してなお51歳という若さ(38歳で市長に初当選)、京都でのイベントのテーマであった常設の住民投票条例をつくっただけでなく、他にも興味津々な市政改革を続々と実行され、もっと詳しく知りたいと思っていた矢先の高松での講演に、村上さんと「ラッキー!!」。ワクワク気分で会場に出かけたのだった。
福嶋さんの考えの基本は「新しい公共」の概念。普通私たちは「公共=官の仕事」と思いがちだが、「官が支配する公共」でなく「市民が主体者の公共」を提唱される。「新しい公共における行政の役割は、市民の自立した活動の下支えと、公共全体のコーディネイトが中心」という。8月の川シンポでの市民の宣言文、元国交省官僚の宮本さんのつくった淀川流域委員会、吉野川を出発点とした徳島の政治につながる運動とも通じるものがあると感じた。

我孫子市のキラリとひかる政策を挙げてみよう。
- 補助金の決め方は検討委員会で
市単独の総額2億円の補助金の中には、交付が始まった頃とは時代が変わり、必要性が低下しているにもかかわらず既得権がものを言い、そのまま継続されているものがある。一方、新しい時代の要請で始まった市民活動であるにもかかわらず、補助金の申請をしても「予算がない」と言って断らざるを得ないものもある。(ここまではどこの自治体でも同じかな。)これらをすべて同じスタートラインで検討するため、全てを白紙に戻し、公募。市民による補助金検討委員会で審査し2000年度より新しい補助金としてスタートさせた。計111件の補充金を、一切の聖域・例外を設けず、遠慮なく審査し、従来からの補助金27件が廃止、新規の補助金は12件。新しいものは街づくりや子どものための新しいイベント、福祉分野のNPOが多くを占めた。これらがまた既得権を持ってはいけないので、必ず3年でまた全て白紙に戻し審査する。もちろん再度の応募も可能で、本当に必要かどうか厳しく審査される。
- 職員採用の試験委員は民間からも
我孫子市では、職員の縁故採用のうわさが絶えなかった。(これもよくある話)福嶋さんが市長になってから面接を行う試験管5名のうち1名を民間(商社役員、デパートの人事課長、大学病院の事務長、ホテルの支配人など)から参加してもらい、人物評価に民間の視点を取り入れた。補助金や職員採用などの「聖域」に市民参加してもらうことで行政の透明性を高め、市民感覚を持った決定ができる。今は一切の縁故採用はないと断言する。
私事(?)5年前、合併前の山川町長選挙に出たときに町民に話を聞いて歩いた際、町民が最も多く訴えていたのが「町職員採用への不信感」だった。我孫子市でもかつては同様だったのだろう。
- 国債より低い利率の市民債が競争率 5倍で完売!
開発の危機に瀕した古利根沼の自然を保全するため、市民参加型ミニ市場公募債を発行。通常、地方自治体の発行する債券は国際より信用度が低いため、その利率は国債よりも高くなるという。ハイリスク、ハイリターンというやつの一種だ。ところが我孫子市民債は総額がわずか2億円であったため、銀行の発行手数料などにより、利息を国債並みにした場合、市債を発行せずとも金融機関から直接借りたほうが市にとって得になってしまう。というので、結局国債よりも安い利息で市債を発行した。(当時の同条件の国債年利0.80%に対し、我孫子市民債は0.58%)証券会社にとっては売れる見込みからいって危険な商品であり、全て取り扱いを断られ、唯一地元の銀行が取り扱ってくれた。しかし結果は、なんと5倍以上の応募があり、公開抽選を行ったそうだ。使用目的が明確な市債であり、その目的が市民に受け入れられたのだ。
ちなみに一昨年から徳島県が発行している「しっかり!ぼう債」も国債よりわずかに(ほんの気持ちほど)利率が低いが、学校など公共物の耐震化率が全国最低レベルの徳島県で、「建物耐震化」に絞って使うということで県民の支持を得ている。我孫子市の市債はこの原型ともいえる。これまでの「しっかり!ぼう債」の競争率は1〜2倍。
- 議会の抵抗には正攻法で
「議会と首長は車の両輪」という言葉は、徳島県議会でも良く使われる。マスコミは知事の選挙の応援をしたかどうかで議員たちを「野党」と「与党」に色分けして報道するが、国会であるなら、一番議員数が多い政党(与党第1党)から内閣総理大臣が選ばれるので、「内閣(行政)」に対して「与党」「野党」というわけ方があるのは当然だ。しかし地方の場合、首長も議員もそれぞれが直接市民から選ばれる(二元代表制)のだから、行政の長に対して、議員が「野党」「与党」と区別されるのはおかしな話だし、福嶋さんも同じ意見。我孫子市では議員に与野党を作らず、議会前に議員との「政策協議」、つまり与党議員への根回しは一切なく、全て市民に見えるオープンな公式な議会の場で議論した。その結果、福嶋市政4期12回の当初予算案は全て一部修正されての可決だったそうだ。
「否決や修正があるということは、議会が機能していること。首長が提出した議案が全て可決されるなら、議会は必要なくなる。」豊岡和美さんや徳島市議の久次米さんも一緒に参加したが、このあたりは、徳島県や地元吉野川市の議員さんや市長、知事にも聞いてもらいたい話だった。
市長を辞めた訳
福嶋さんは、今年1月、50歳の若さで3期で市長を勇退。その理由を問う会場からの質問に「長くやると利権が生まれると言うが、そうは思わない。利権に絡む人は長くても短くても同じだと思う。ただ長くやれば目に余ってくるということ。それぞれの首長によって得意な政策は違うので、3期くらいで交代し、次の市長には、その人の得意分野を市政で伸ばしてもらい、また次の市長がその人の得意分野を伸ばしていき、市がバランスよく発展するのがいいと思う」と答えていた。
香川県の方が「是非、香川県知事に来てほしい!」とラブコール。彼の生まれ故郷は鳥取県で、実際「片山知事の後任に」、という話があったらしいが、その地域の問題点などをしっかり把握せずして自分自身で力の入ったマニフェスト作成ができないからと、鳥取県庁で不出馬会見をしたのだという。
福嶋さんは筑波大学、生協職員を経て26歳から我孫子市議3期を務めた。住民運動と市議会がしっかり連動することでいくつもの動きかけた公共事業を中止に追い込み、我孫子市の住民自治が育くまれていく中で福嶋市長の誕生があったのだろう。「全国の市長の中で市民と最もよく対話したのは自分だと思う。対話といっても住民の皆さんの話をただニコニコして聞いているような対話ではなく、自分の考えを理解してもらうためにはけんか腰でとことん議論した。」と言う。
小柄でクールなどこか牛若丸を思わせる福嶋さん、どこからそのような情熱が沸いてくるのだろう? 彼のような人間がなぜ誕生したのか、もっと話を聞きたかった。現在中央大で教鞭をとられ、早稲田大でパブリックサービスの研究をされているらしいが、これからも政治の現場で活躍してほしい逸材である。元気をもらった2時間、彼の話を多くの人に伝えたいと思った。

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