6月9日
満員のマイクロバスで高松へ
〜国交省四国地方整備局で説明会〜
5月23日、国交省四国地方整備局が発表した「吉野川河川整備計画の策定に向けて」は、関心を持っている者にとって、アッと驚く内容であった。流域住民の意見が公平に反映できる仕組みとして、住民団体が、また研究会の提言でも議会でも繰り返し要望してきた流域委員会(第3者機関)の人選を含めた「準備会」を設置するどころか、「流域委員会」そのものさえも置かない、というのだ。
住民意見は流域6カ所で開催される「意見を聴く会」で十分に聴き(聞くだけ?)、学識経験者、関係首長の意見を聞くとしている。「抜本的第十堰の対策のあり方」については「まずは平成16年度洪水についての分析を初めとして必要な基礎調査を行う」という。えっ?これから?この2年間は何だったのか?という感じである。昨年徳大の岡部先生が調査したのは何だったのか?
そこで、私たちは何故このようなやり方になったのか、高松の国交省四国地方整備局まで訊きに行くことになった。
4つの質問
永年第十問題に取り組んでいる住民団体がこの日に訊きたいポイントは4つ。
- 国交省(旧建設省)が「第十堰問題を含む吉野川における市民参加と対話の方法に関する『吉野川方式』を検討し提案する」ことを目的に設置した「明日の吉野川と市民参加のあり方を考える懇談会」の最終提言は、「計画策定の各段階で市民参加を行い意思決定を段階的に積み上げていくしくみ」の重要性を強調し、それを総合治水・市民参加検討委員会(仮称)や吉野川流域協議会(仮称)としてまとめている。これは,国交省自身による,第十堰問題の反省から生まれた吉野川ならではの合意形成の新たなしくみであり,当然採用されるべきにもかかわらず,あえて今回の方針でこれを採用しなかったのはなぜか。
- 昨年12月、河川整備基本方針を決定した際、渡辺和足河川局長は「徹底した情報公開と住民参加で河川整備計画を作る」と約束した。このため私たちは、計画の議論に先立って住民参加や合意形成のあり方を話し合う準備会を設置するなど、住民意見を十分反映できる仕組みを求める提言をし、繰り返し率直な意見交換を求めてきた。しかしながら四国地方整備局は、2度の意見交換の場ではノーコメントを通し,いまなお,経過説明も情報開示もしていない。河川局長の約束はなんだったのか、いったい,「住民参加」と「情報公開」をどのように考えているのか。
- 流域の合意形成を図る上でもっとも重要なテーマのひとつが,審議会等の性格,運営,そして委員の人選。ここでボタンを掛け違えるともはや取り返しがつかないことは,ダム審の教訓が示している。このため前記最終提言も「委員の構成や選考基準,選考過程等に関する市民意見を集約し,できるだけ多くの人が納得できる選任方法を考える」べきと結論づけている。にもかかわらず,学識者会議の委員の人選と運営において,なぜこのようなていねいな方法がとられず,ダム審と同様,行政側の意向だけで決定してしまったのか,この学識者会議とはどんな役割を担うのか。
- 第十堰については、国土交通省(旧建設省)は、吉野川全域でもっとも危険と主張してきた。もし現在もそうだとすれば、可動堰計画の白紙後なんの安全対策をとることなく6年間も放置したうえ、さらに「抜本的な第十堰の対策のあり方」の検討を先送りにすることなど河川管理上ありえないのではないか。
したがって国交省は、まず河川整備計画上の対象洪水について第十堰は安全であることを,23号台風の解析結果に基づいて,過去にとらわれず率直に県民にご説明頂きたい。
文書はあらかじめ渡してあり、回答の準備をお願いした上で、急遽参加者が募られた。平日だというのに用意したマイクロバスは満杯になった。
とても納得いかない!
自宅から高松までは塩江経由で約1時間。しかしこの日はマイクロバス車中での意見交換のため、一旦徳島市内まで出かけ、みんなといっしょにバスに乗った。バス代は1,000円の割り勘だ。「行政学」の専門家武田先生もわざわざ東京から来られ、バスに同乗、彼は徳島大学勤務のため数年徳島市内に住まれたことがあり、以来吉野川を心から愛されている先生。有り難いことだ。
この日の対応は舘河川課長以下たくさん(5,6名?)。
質問1と2に関しては「流域委員会」は人数が限られており、一部の意見しか聞けない。出来るだけたくさんの人の意見を聞くためにこういう方法にした。
3に対しては「人選は適当だ」
4に対しては「後日議論してもらう」
という。とても納得いく答えではない。
私たちは「たくさんの意見を聞くと言ってもその意見を聞いてどうするのか、それを話し合う第3者が事務局となった場が必要ではないのか」「意見を聞くだけで、どう反映させるのか」「人選の結果がどうかは別問題、誰が人選したのかが問題ではないのか?」「第十が最も危険としながら、何故先送りなのか?」と粘るだけ粘って2時間が経過したが、舘課長は「とにかく前へ進めさせて欲しい」と繰り返すのみであった。
これまで、「河川整備は下流から」として「第十が片づかないと中・上流域の整備が遅れる」ということだったのに、第十堰は後に回された。それならそれで、後に回しても大丈夫だという説明が欲しい。知事選まで、民意を騒がしたくないから、知事は問題を二つにわけ第十を先送りにしたのだろうか?
「吉野川新時代」=「第十先送り」なのか?
この日は「徳島に来て、なお納得いくまで説明する」「住民意見を聞くだけでなく、反映させる仕組みを作ることを検討する」ということで終わった説明会であった。
帰りのバスで、「誰が聞いてもはぐらかしの答弁で、『のれんに腕推し』『蛙の面に小便』だったねえ。」「彼らにプライドはないのだろうか?」「ああまでして官僚の守ろうとしているものは何なのか?」という話になった。もちろん組織であり、そして自分個人の将来の立場も、まさか天下り先の確保、なのかなあ。誰か反論してほしいような寂しい気持ちになった。
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