8月7日
山もりのババたちの村へ
〜県土整備委員会視察 県南部〜
台風3号の中の県央部視察に続いて、台風10号接近の中、県土整備員会県内視察の最後は県南部。
1泊2日で、相生土木、海南土木、阿南土木の各事務所とその管轄事業のいくつかの現場をまわる。
今、海部町の「遊遊NASA」というきれいな宿泊施設、お隣のNさんの五目ならべのお誘いは悪いけれどお断り。窓の外は海、入り江になってるので今のところほとんど波はない。
今日から明日にかけて500mmもの雨が降るとかで、明日は国道が全面通行止めになる確率が高いようだ。
この委員会も明日ちゃんと帰れるかどうかわからないという。 県南の方々はちょっとした雨で交通規制になるという地理的条件の中で生活しているのだということが身をもって理解できる。
今日は木頭村に行った。ダム水没予定地になっていて改良の進んでいなかった国道の工事がようやく始まるということで現場を見せてもらった。
木頭村は「大きなダムを止めた小さな村」ということで全国的に有名だ。
相生土木の所長さんの説明を受けながらバスで現地へ向かう、「細川内ダム計画は約30年間のダム反対闘争があって2000年に国交省が完全中止宣言をしました。」
所長さんはこの春10年ぶりに相生土木事務所に帰ってこられたそうだ。
「ちょうど10年前、1993年の県土整備委員会の視察もここでした。当時、むしろ旗を持ったたくさんの反対住民が県土整備委員を取り囲み、『私たちの話を聞いてくれ。聞いてくれないなら帰ってくれ』と。私たち職員が体を張って委員のみなさまを守るような格好になりました。
そのころ、委員会の視察には関係地区の市町村長も同席し各地の陳情を行ったのですが、ちょうどダム反対の藤田村長が初当選したばかりで、その陳情の席は多くの報道関係者であふれていたものでした。」
円藤元知事は藤田村長を筆頭にダム反対を続ける木頭村にムチの政策を、すぐ隣の木沢村にはこれ見よがしの手厚い補助金を出したという。
今回、ダム完全中止を受けて大型車が通行できないような狭い拡幅の道路を広げたり、バイパスをつくったり、というようなこれまで滞っていた事業がようやく始まったのだ。
19年前に結婚して徳島県人になった私が、何といっても自慢なのは吉野川の住民投票と大きなダムを止めた木頭村がこの徳島にあることだ。
そしてこれらの運動の陰にはたくましい女たちがいるのだ。
この木頭村のすばらしい女たちのことが本になった。
都会での中学・高校の教師を辞めて98年に木頭村に移り住んだ
玄番真紀子さん著『山もりのババたち〜脱ダム村の贈り物〜』(凱風社)である。
ババたちが大田さんを知事にと、3度の選挙で勝手連「木頭のババ連」として活躍していたことは知っていたが、この本で彼女たちの生き方にふれ、嬉しくなった。
山仕事の途中で木につかまって子どもを産み落とし、川で洗って持って帰ったという話は圧巻だ。
全体的にババたちを見つめる玄番さんの目がとても温かく、4コマ漫画のイラストもかわいい。最近読んださわやかな本ベストワン、お奨めである。
玄番さんが「ババたちの畑は芸術的でとてもきれい。夏の夕方ババたちが帰ったあとの畑に草刈り鎌の忘れ物がぽつんとあったりする光景に蝉の声が聞こえると泣けてくる」というところで思わず一緒に泣いてしまった。(あとは内緒。是非読んでみて下さい。)
山川町でもおばあたちは元気だ。手作りのおいしいものを持たせてくれワッハッハと笑い、手を握りしめて励ましてくれ、いっしょに泣いてくれる。彼女らの世代、生活は苦労の連続、清貧の暮らしがあっただろう。
しっかり生きて子どもを育て、良い意味でこの国を支えてきた。
徳島市内から木頭村への道は長く、曲がりくねっている。
「こんな道をプラカードを持ったババたちが何度も通ったのか・・・」と胸が熱くなる。
所長の説明は続く。
「このあたりの杉も『トラスト』といって住民の方々に買い占められまして・・・」
「あっ、それ私も7,8年前に4,5本買いましたよ。1本が1000円くらいだったかな。」
「!!!」
県土整備委員からそんな言葉が飛び出したことにちょっと意外な様子だった。そうだった、私も木頭の清流を守ることにほんの少しだけ貢献していたのだ。ちょっぴり誇らしかった。
木頭村関連のホームページ
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