7月21日
市民による朗読劇「この子たちの夏」
親しい友人が参加している市民による朗読劇。広島・長崎の原爆を経験した一般市民の親子の詩を集めて編集されたこの劇は、徳島では11年前にプロの女優さんたちによって上演されたそうだ。記憶にないと思ったら、その年、私たち家族は内戦の終わったばかりのモザンビークに、難民の診療所を建てたり井戸を掘ったりするNGOのメンバーとして行っていた。モザンビークではまだ至る所に地雷が埋まっており、旅の途中ブッシュの中で用を足すときなどドキドキしたものだった。地雷は今もたくさんあるのだろう。
11年前のその朗読劇を聞いた徳島の人たちが「今度は自分たちで上演しよう」と、プロの指導を受けて練習を重ねてこられたという。尊敬する友人のYさんのメールリングリストに流れてきた文章を紹介しよう。
「市民が力を合わせて、たくさんの人たちに訴えるものを作り上げるには、大きなエネルギ−がいるものです。参加している人たちの年齢は幅広く、男性あり、若い女性あり、母親あり、子どもありとさまざまですが、脚本で自分に与えられたせりふは、けいこの度にそれぞれの中で深くなり、『決して演じてはいけない、その人の気持ちになり切って語ること』との演出者の厳しい指摘に納得がいきます。本当に、自分がどれほど真剣に 生きていこうとしているのかを、問われていることでもあるのです。つたなくとも、真心からの語り部になろうと努力していますので、どうぞ、聞きにきて頂きたいと思います。そしてあなたも、また次の人への語り部になって下さい。」
議会閉会中とはいえ、いろいろなイベントや視察、新しい議会報告の作成やHPの更新など(そしてしょっちゅう寝坊する娘の高校までの送り迎え)、やらなければならないことはヤマほどあり、この朗読劇は直接のお誘いもなく顔を出す義務もなかったけれど、このメールが私の足を動かしてくれた。
朗読劇は想像以上のものだった。
当たり前のことだが、毎日を家族仲良く慎ましく暮らしていたごくふつうの市民を、原爆が突然地獄におとしめたことを改めて思い知らされた。数多くの戦争物の書き物や映画などに接してきたが、生まれて初めて「戦争」というものを知らされた確か小学校2年生くらいの時に「戦争は、この世に生きて存在するさまざまな悪いことの次元をはるかに越えたもの」と直感したのだが、年を追うごとに直感はあたっていたと強く思う。
探しに行った中1の息子が川の中で死んでいた。戦地から送られた大事な夫の写真が見あたらず「どうしたのだろう」と思っていたところ、亡くなった息子のポケットの中の濡れた生徒手帳にはさんであったのを発見したという母親の手記。夫が疎開に反対したので息子が死んだのだと夫に当たり散らした夜、夫は1人で外で星を見て泣いていた話。蛙を見て「蛙でさえ生きていやがるのに、息子は死んでしまった」と思わず蛙を投げつけてしまった母親。人間の持つ最もすばらしいものの一つである「親子の愛」が無惨に残酷に蹂躙される悲しみを描いた脚本のすばらしさはもちろんだが、その市民の苦しみを徳島の市民が演じたことに大きな意味があると思った。
普段、私はミュージシャンやよほどの美声の持ち主は別として、人の「声」というものをあまり意識しない。まず、この日のみなさんの「声」の美しさに驚いた。それにはもちろん練習を重ねてこられたこともあるのに違いないが「今、生きている」という生命力にあふれて、どの人の声もどの人の声もとても美しいのだった。「伝えたい」という思いが込められた意志を持った美しさなのだろう。
郷土文化会館の大ホールは、ほぼいっぱいになっていた。
チケットを売ること、来場することで劇を支えたみなさんもすばらしいと思う。
徳島はやっぱりステキなところだ。
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