4月15日
大学院「総合政策学部」聴講生となる
今年になって文理大の大学院に総合政策学部なるものがあり、錚々たる方々が教鞭を執っているのを知った。早速17年度の聴講生に応募し、面接を経て4月より講義を受けることになった。時間の都合で1週間に2つの講義を取るのが精一杯、武村先生の「統治機構論」、八幡先生の「現代行政の課題と法政策」を選択した。
武村先生は、政治家歴30年の大先輩。70才とは思えない矍鑠(かくしゃく)として、本人曰く「若い頃は冒険心旺盛なやんちゃ坊主で、高校時代ちょっとしたことで無期謹慎になり、抗議して校門前でチラシを配ったりした。」自治省に入り、(その頃後藤田正晴氏と知り合う)地元滋賀の市長、県知事を経て代議士に。自民党にも顔が利き、官房長官や大蔵大臣を歴任。新党さきがけ党首時代は、村山内閣の連立政権を担ったという輝かしい経歴だ。
尊敬する中村敦夫さんの同志でもあったということもあり、激動の時代を政治の最先端で活躍した彼からどんな小さなことでも何か吸収したい、イヤきっとすごく大きなことを学べるに違いない、と期待に胸をふくらませた。
初日は日中問題について。このところ毎日のように中国の反日デモの様子がTVニュースで流れ、日中問題に暗雲が立ちこめ悲しい気持ちになっている人は少なくないだろう。この日の講義は、砂漠に水を撒いてもらったようにすーっと入ってきた。
太平洋戦争での死者は、日本人300万人、中国人1000万人?
日中問題を整理すれば(1)靖国参拝(2)尖閣諸島(3)歴史教科書(4)安保常任理事国(5)ガス油田
問題は要するに両国の歴史認識の差から生まれている。太平洋戦争の死者の数は正確にはわからないが数百万人から3000万人までいろいろな説があり、まあ、2000万人くらいが妥当なところといわれている。
そのうち日本人が300万人、中国人が1000万人。対等な戦争ならまだしも日本が一方的に侵略して仕掛けた結果の数字だ。これを知る日本人は少ない。
学校の歴史では、この重大な数字をほとんど教えない。
それは、入試問題が明治以前の歴史を問うものが多いからか。
歴代の総理大臣で、太平洋戦争を「侵略戦争」と初めて言ったのは細川総理が朝日新聞のインタビューに答えたとき。
正式に認め、発表したのは村山内閣の時だ。
その時、自民・社民・さきがけの三党連立内閣。
さきがけ党首だった本人からこの話が聞けて嬉しかった。
なぜ小泉さんは靖国に行くのか?
靖国参拝がなぜ中国人(もちろん韓国・朝鮮の人々も)の反感を買うのかは、言うまでもなく、そこに戦犯が祀られているから。日中戦争についての中国側の整理は「あれは一部の軍国主義者がやったことで多くの日本人兵士も犠牲者である」ということだそうだ。
歴代日本の総理は靖国参拝をしていなかったのに、小泉さんになってから毎年参拝が続いている。これは自民党総裁選のライバルであり遺族会会長だった橋本龍太郎に勝つための作戦だったらしい。つまらない(私利私欲の)勝負ごととひきかえにアジアの平和という大きな大義を失って良しとする最高責任者を持つ国は不幸である。
偉大な蒋介石
その憎いはずの日本人孤児を 貧しいなか育ててくれた養父母の多くいる国 中国。山崎豊子の力作「大地の子」に号泣したことを思い出した。
蒋介石は日本が敗北するやいなや「報恨為徳」(恨みを報いるに徳を持って為す)と言い、中国本土至る所に「昨日の敵は今日の友」というポスターが貼られ、そのお陰で日本兵は袋だたきに合うことなく無事祖国に帰ることが出来たという。そして、毛沢東政権では「日本に賠償金を要求しない」と言った。
1000万人もの同胞が殺されたのだ、賠償をすれば何百兆円にもなるだろう。
日本はODAで中国に数兆円援助しているが、それはせめてもの罪滅ぼし。
しかし、そのことはあまり中国人に知られていないと言う。武村先生は「こういう時だから若い人には『中国に行って来なさい。』と言いたい。『行って溝を埋めてきなさい』と。」
日中の歴史認識については、南京大虐殺についても石原都知事のように「死者は2000~3000人」から中国側の「30万人」という主張まで、いろいろなことが言われている。
今後、日中共同の歴史研究を始め、合意したものを両国の歴史教科書に掲載していくようにすることが必要。日韓ではこれがすでに始まっているらしい。
それにしても日中関係悪化のニュースでTVに登場する評論家は「中国けしからん!!」派がほとんど。情けない話だし、それでは関係が好転するはずがない。相手の身になって考える。幼稚園の子どもたちにでも日頃大人たちが言っている言葉だが、実行するのはなかなか難しいようだ。
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