4月15日
激論!改憲のための国民投票法
〜国民投票と吉野川住民投票〜
四国市民派議員連絡会のメンバーであり、尊敬する香川県議の渡辺さとこさんから、若い学生さんたちが企画したシンポジウム、『激論! 改憲のための国民投票法案』へのお誘い があった。「初歩的な議論になるかも」ということだったが、若い人たちの取り組みにエールを送ろう、と香川大キャンパスに出かけた。
パネラーいろいろ、いきなりの難題
会場には自民県議、民主国会議員、共産国会議員、公明市議、社民県議と各政党からバラエティに富んだパネラーがズラリ。多様性の世界というかこだわりがないというか、いい感じだ。その5人の政治家に一般代表として吉野川みんなの会の姫野さんが加わる。
最初に「今、国民投票法が必要か否か?」を会場の全員がピンク(不必要)か、みどり(必要)の紙を挙げて意思表示をするところからパネルディスカッションが始まった。偶然姫野さんのすぐ前の席に座ってしまった私は、まるで『先生にいい評価をされたい生徒』のようにみどりを挙げたいと思った。が、それは今日究極の超難問、答えを探して参加したのだ。議会の議決でもないことだし、と決断力のない私はオロオロしてしまった。
それぞれの政党のパネラーの意思表示は予想通り。自民、公明がみどり、共産、民主、社民はピンク、そして姫野さんは『必要』のみどりを挙げた。
自民県議は「個人的には9条改正には反対(!)だが憲法に改正の規定があるのに国民投票法がないというのはおかしい。つくるべき。」と正論。
公明市議も「私は3千人の党員中3千番目の改憲派」と言いながらみどりを挙げた。自民、公明の政治家に「9条をそのままにしたい」と言わせたこの企画はすごい!
そして「9条にとって国民投票法がプラスかマイナスかという視点ではなく、国民が意思を示せるルールをつくるべき」という住民投票の実績のある姫野さんの話には説得力がある。「直接民主主義により民度が高まれば間接民主主義の精度も高まる。つまり議員の質(=議会の質)が高まる」と言う。比べて『国民投票法は9条改憲の一里塚』として『断固反対』という護憲派(全てではないが)の考えはいまひとつ説得力がない。
平和か?民主主義か?
会場からは、「私はピンクを挙げました。今の政府は信用できないし、その政府が作る国民投票法案が信用できません。原発や米軍基地や廃棄物処理場など、具体的な事柄に対する住民投票なら住民にわかりやすいけれど、憲法や平和は抽象的でわかりにくく、国民には判断しにくいのではないか。」尊敬する愛媛の市民派県議の阿部悦子さんの熱い発言にかなり同感だ。
公正な投票が実施できるかどうか、今の選挙のあり方を見ると疑わしいし、民主主義の理想を追求した結果として平和憲法が変えられてしまったら?
9条改憲派がお金を使って人気タレントを雇い、テレビコマーシャルで「やっぱり変えなきゃね!9条」なんてやりかねないし・・・。
民主主義を得るプロセスの大切さと失われる平和憲法の大切さの絶対値はどちらが大きいのか?民主主義がきちんと確立されれば、全てうまくいくのだろうが、「いのちや平和」を脅かす可能性が少しでもあるのならそれは危険な掛けのような気がする。う〜ん、難しい。やっぱり私はピンクかなあ。
しかし、投票を恐れても国会議員の3分の2以上が改憲派となってしまった現実がある。今、「平和憲法の大切さ」を正論で訴え、「国民投票で決めよう!」と主導権をとり、先手をうっていくほうが有利ではないか?
徳島市の住民投票や昨年の『郵政民営化選挙』(実は改憲選挙?)は確かに先手有利だった。阿部さんの質問に姫野さんは「可動堰も初めは市民にとって抽象的だった。市民に如何に具体的に示せるかがポイント。そしてこれまで9条がありながら解釈改憲を許し続けてきた現状をどう考えるのか。」想像以上に高いレベルに議論は盛り上がったがそこで時間切れとなった。
国民投票や改憲の論議はまだまだ市民にはポピュラーでない。議論の場をつくる様々な取り組みが必要だ。その意味でこの日の企画はすばらしかった。
今、民度が高まる時間が充分にほしいし、マスコミの影響もどう出るか怖い気がする。かといって後の世代に先送りにすればするほど護憲派は不利になりそうだ。改憲のための国民投票法が『今』必要、と言い切る勇気と自信は私にはまだないが、その日に備えて逃げることなく動き出さねばならない。
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