8月1日
三笠貴子さん(川島)黒田清JCJ新人賞
選挙中に知人からいろいろな方を紹介してもらった。
「この人に電話でお願いしたら」とか「この人には直接会いに行ったらいいよ」という感じ。
あまり几帳面でないので自分が誰に会いに行って誰に電話したのか全て記録が残っていない。
議員になって間もない頃、「鴨島の三笠ですが」という電話をいただいた。私が選挙のお願いをしたらしいのだが、数百人に電話をかけているので覚えていない。失礼だったけど正直にその旨申し伝えたら、
「私どものことをご存知ないのですか?」
「娘の書いた本も読まれていないのですね。」
ととても驚かれがっかりされた。三笠貴子さんのお母様だった。
三笠貴子さんは99年12月、兄の睦彦さん(当時33歳)を突然亡くす。警察は交通事故のあとの自殺と早々に断定するが、あまりに不信なことが多い中、貴子さんとご両親は独自の調査を始めた。
本来警察がするべきことだが、初期調査の杜撰さを認めないがために、まるでウソにウソが積み重なってどうにもならなくなるかのように警察組織はこの家族の信頼を失っていく。
事故から独自調査とその後のことをまとめた貴子さんの本
「お兄ちゃんは自殺じゃない」が、
このたび賞を取られたことが地元紙の徳島新聞に載った。
事故の全てはこの本を読まれればよくわかる。真実が何なのかという証明は困難なことかもしれないけど、私は貴子さんの本に書いてあることを全面的に信じる。この本はそういうとても大きな力を持った本だ。
事件のもうひとつの本質は警察の体質にあるような気がする。
徳島県警は、初期調査が不十分であったことを遺族に謝罪し、正しい調査をしなおして欲しいものだ。(実際今3度目の再調査が行われているが、過去2度の再調査は全く不十分なものだった。)
幸い、今年赴任した県警本部長は遺族に謝罪の手紙を送っているらしい。
ちょっと救われる気がする。
睦彦さんのことは「阿南自衛官変死事件」ということで度々新聞に出ていたし、全国放送TVでも何度も取り上げられている。当時私には関心外のこと、ご遺族にしてみれば麻植郡選出の議員が自分たちのことを知らないということにさぞがっかりされたことだろう。
他にも同じように県民が苦労されていて私がそのことを全く知らないというようなことがたくさんあるに違いない。選挙カーであれだけお騒がせをしながら、ちょっとゾッとします。
有権者にとって政治家が選挙の時だけ一生懸命なようにうつるとしたら、きっと私もそう思われたに違いない。毎日目の前の議会対策に追われ、読まなければならない資料に目を通すこともなかなか追いつかず、その焦りでストレスもたまってくる。本や新聞にさっと目を通しただけで一気に理解できるような天才に生まれてきたかったなあ。
徳島県議会では、昨年共産党の古田議員がこの問題を初めて取り上げ、今年も引き続き委員会で質問が続けられている。
県民ネットでは、本田さんが警察機関担当の総務委員、私がご遺族の地元議員ということで、7月12日ご両親と貴子さんにお会いしてお話を聞く機会を持った。3人は「お忙しい中ありがとうございます。」と言ったけど、私のほうこそご努力に敬意を表したいし、他の苦しまれている事件被害者のために3人のご努力に心から感謝したい。
その後、7月15日オープン参加の委員会でもご遺族の話を聞く会が持たれ、いい方向に向かっていると信じたい。
貴子さんの本はノンフィクションとしてもすばらしいが、この本が人の心を打つのは「家族愛」がいたるところに見え隠れしているからだ。
2人の兄妹は幼い頃、ご両親が共働きで帰宅も遅く、3km先の祖父母の家に何度も夜道を歩いたらしい。9歳の睦彦さんは疲れて泣き出した5才の貴子さんをよろよろしながらおぶって歩いたというエピソード。
睦彦さんはご病気がちのお母様のために広島の勤務地から月に1度は必ずご実家に帰られていたとか。
貴子さんは事件からずっと大変な心労の中、悩みつづけながら今日にいたっている。
調査のため毎晩事件現場に通い、実際暴走族に追いかけられ身の危険を感じながらビデオカメラを回したこともあったという。
1日も早く真相が解明され、貴子さんにしあわせになってほしい、と祈らずにはいられない。
鳥越俊太郎さんの紹介文
三笠貴子さんのHP
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