8月中旬、朝日新聞の第1面に「あふれさせる治水へ」と国交省の方針がかわりそうだ、との記事。
「洪水はダムや堤防で川の中に封じこめよう」という従来の考えから、「想定以上の洪水が来たときにも被害を最小限に抑えよう」という考えにシフトすることは画期的、という主旨での第1面掲載だ。その事例として、愛媛県の肱川の「二線堤」が紹介されていた。
国交省四国地方整備局大洲河川国道事務所に早速電話、視察に参加しやすいよう、土日を申し込んだところ、役所の休日にも関わらず快く受け入れていただいた。それでも大洲事務所は忙しいらしく、空いている土日がなかなかとれずに10月になってやっと実現したのだった。
大州インターまで高速で約3時間、副所長と地域第1課長が2線堤の現場で説明をしてくれた。
二線堤というのは、「2本の堤防」という意味で、本来の堤防の外側の農地に遊水池として洪水を溜め、そのまわりに道路や鉄道線路をかさ上げし、2重の堤防として機能させるというモノ。肱川の場合、2線堤は実は大洲市の事業で国交省は許可をしただけ、ということだった。担当の二人も「あふれさせる治水」に対しての評価を「そういうことは本省に聞いて下さい。」と語ろうとはしなかった。
山烏坂ダム計画
2000年の与党3党の公共事業見直しで、徳島の細川内ダムや全国の公共事業とともに「中止」となった山烏坂ダム。ダム計画に反対だった地元大洲市長を愛媛県知事が「ダムは必要」と説得してなんとダム計画が復活し、昨年の「肱川流域委員会」を経て、流域整備計画の中にしっかり組み込まれてしまったと聞いて、私たちは絶句した。知事という強権力による市町村分権の完全否定ではないか。
住民運動を担う方々と主にダム水没予定地へ。
山烏坂ダムはもともと、松山市への利水がその建設目的だったそうだが、その後水需要が無くなり目的は「治水」へと変更、さらに多目的ダム法により、2つ以上の目的が必要となり「環境」もプラスされた??? 渇水期の川の水量を確保し、河川環境の維持を図るのだそうだ。情けないというか、滑稽にさえ思える。
さらに、ダム計画の是非を問う住民投票の受任者(署名を集める人)の名簿が情報公開請求により公開され、受任者はさまざまな生活の場で圧力を受け、裁判となり、「公開は違法」と最高裁判決が出たのはつい先日のことだ。今後の同様な住民運動のためにも勝訴は嬉しいことだが、裁判をやっている3年の間にダムが復活し、関係者の胸の内を思うと無念である。もし吉野川の第十堰で同じことが起こっていたとしたら、私たちは人間不信から世を捨てていたか、「知事と差し違える人が出たかもしれないね・・・。」と友人との物騒な話をした。
そこに住む人たちが地域の未来を決めたいという「地方主権」の基本がなかなか受け入れられない「民主主義の国・日本」の実態である。案内していただいた大津市議の市民派:有友さんはさわやかですてきな方だった。ありがとうございました。
私たちが山烏坂ダム予定地をおとづれたこの日、偶然にも徳島の木頭では元村議 田村好さんが中心になられ「細川内ダム反対運動記念資料館」がオープン。