4月11日
小池市長辞任後の市政は?
夏の参議院選挙に徳島市の小池市長(前)の名前があがり始めたのはいつ頃だっただろうか、しかも自民党から出馬?
骨太雑誌「週間金曜日」の「全国首長ベスト10」のランキング入りをしていた小池市長。その理由は、可動堰建設計画を推進していた旧建設省出身の市長でありながら、住民投票の結果を受けて『あらゆる可動堰に反対』と態度を180度変えたこと。
住民が何かを政治に期待するとき政治家を選挙で入れ替えることも大事だが、政治家自身の信条を変えさせる方法もあるのだ、ということに気づかせてくれた画期的な出来事だった。
小池さんは、「参議院議員になっても可動堰反対の立場は変わらないし、国政でそのことを言っていく」てなことを出馬記者会見で言ってたようだが、自民党から反発の声が大きく、わずか1週間後に前言撤回、『可動堰反対』を公約からはずしてしまった。
徳島市は職員不祥事が相次ぎ、全国の多くの自治体の例に漏れず財政もたいへんな状況、義務的経費(職員給与や建物の維持管理費など)はふくらむ一方で、投資的経費に使える財源は年々減少、積み立てている基金も来年度には底をつきそうな状態のようだ。
次の市長はこの厳しい時代において、あらゆる知恵と揺るぎなき信念を持って市政に当たれる人でなければならない。そんな貴重な人物がいるのだろうか?
姫野雅義さんという人
姫野さんは第十堰住民投票の会のリーダーとして全国的にも有名で、ここ数年、各地の講演に引っ張りだこだ。彼の話を聞いた人はその論理の組み立て、無駄のないしゃべりと説得力に『う〜ん』と唸り、元気になっていく。
時代の先を読む目に長けていて、圧倒的ポジティブ思考。 絶対に止まるはずがないと思われていた国の決めた大型公共事業を、全国で初めての住民投票で実質的に止めた、と言うは易すしだが、署名集めから始まって、市議会の否決、市議選、条例制定、しかし50%条項(住民投票の投票率が50%未満だったら開票しないという決まり)がついた、そしてそのすべてをクリアして圧倒的反対多数で住民投票は終わった。
運動に関わったあらゆる市民一人一人の力で住民投票は成功した。
しかし、一つをクリアするとまた一つ大きな壁が立ちはだかる、という繰り返しの中、その節目節目に市民感覚からはずれず大局を見極める能力を持って運動の舵取りをしてきた姫野さんがいなかったら、今頃可動堰は着工していたかもしれない。
徳島市の住民投票は全国の市民運動に大きな影響を与えたし、個人的にも住民投票を目の当たりにして生き方が変わった人は多いのではないだろうか?
私もその一人。それまでは、日本社会のしがらみや政治のドロドロ、複雑な仕組みを変えようなんて、どこか初めからあきらめていたようなところがあった。住民投票を支えたのは、本当にごく普通の吉野川を愛する市民たちで私利私欲に関係ない人ばかり。普通の人が立ち上がれば世の中変わるんだ!私にとって青天の霹靂だった。
その後に紆余曲折を経て私は県議会議員になったわけだが、私のような議員が全国に少なからずいるのだ。
吉野川シンポジウム主催の「川の学校」には、全国から若いボランティアスタッフの申し込みが殺到、その後徳島に定住を決めた若者も少なくない。
一事が万事。姫野さんには人を育てる力が溢れている。
今、市役所改革に最もふさわしい人だ。 「政治の素人」という批判はありえない。
「政治の玄人」たちが今まで何をして、
今日本の政治がどうなっているのか、言うまでもないだろう。
やはり選挙は難しい
徳島市以外の県内、県外では姫野さんが出馬を決めた時点で圧倒的勝利を確信する声も少なくなかった。
しかし、やはり選挙は難しく、どうも「5分5分」の一騎打ちになっているとするのが選挙通の現状分析らしい。
結果がどうなるか、徳島市が全国区の市政へ変革できるかどうか、今は政治的センスぴかいちの徳島市民の選択を信じよう。
というわけで
姫野さんの後援会活動のお手伝いで、連日連夜「元気ネット」の事務所に詰めています。HPの更新も滞りがちですが、ご支援よろしくお願いいたします。
姫野雅義・元気な徳島ネットワーク
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