9月26日
国交省河川局小委員会(2)〜吉野川整備基本方針〜
代表質問の前日に国交省へ
代表質問の大項目はだいたい5〜10項目。あらかじめ総務課の担当の職員に質問のポイントを伝え、答弁を各担当課が用意する。このやり取りで、何度も何度も打ち合わせをする。「セレモニー」的と批判されがちな本会議だが、1分の狂いもなくスムースに行われるように、裏方の苦労は大変だ。
予測される答弁に対して、こちらは再問を考えたり、「委員会でさらに議論を深めたい」と言って終わったり。70分の持ち時間をオーバーしたら自民席から野次が飛ぶ、というプレッシャーの中、自分の原稿をタイマーで時間を測って出来る限り調整する。
前の議会が終わる2〜3ヶ月前頃から質問の項目を立て、県外の先進地を視察したり、担当に話を聞いたり、専門家に会いに行ったり、本を読んだり仲間に相談したりしてポイントを絞り原稿をつくっていく。
いつもなら質問日の3,4日前には原稿は出来あがっているのだが、今回、吉野川整備が急な事態となり、なんと代表質問の前日の月曜に国交省で第2回目の小委員会が行われることが、土日をはさんだ金曜日の夕方の河川局のHPに発表になった。しかもこの日で小委員会が終わってしまう可能性もあるというではないか!この小委員会の展開次第では、質問のポイントが大きく変わってくるので、是非傍聴に行こう!ということになり、連休中だったが、なんとか航空券をゲット!
折しも関東地方に台風が近づいており、議会事務局が心配して「もしものことがあって代表質問に穴が空くようなことになったら、大変なことになります。代理の人に行ってもらうとか、考え直して下さい。」と言ってきた。
もちろん、お天気の様子は見るけれど、自分の目で会議を見ること、感じることはとても大切な気がした。
会派の会長本田さんにおそるおそる電話で相談すると「事務局が立場上、そう言うのは仕方ないとして、是非傍聴に行くべき!」と言ってくれたので、安心して出かけることになったのだった。
28名の委員たち
午前10時に小委員会は始まった。徳島からは吉野川シンポの代表・姫野雅義さん、「吉野川東京の会」のメンバーもたくさん傍聴に来ていた。この日は吉野川だけでなく、富山県常願寺川のことも同時に話し合うという奇妙な仕組み。
議論は吉野川に集中し、しかも第十の危険性についての話で盛り上がった。北海道の委員が「『洪水上支障となる既設固定堰』とあるが、これは第十堰のことを指すのか、それとも一般的なことを言っているのか?」という質問に事務局の国交省は「それは断定ではなく、むにゃむにゃ」とはっきりしないような、住民に遠慮したような答え。「それなら誤解のないようにこの表現は書き直した方が良いのではないか。」と言ってくれた。
それに対し委員長の近藤氏(この人はナント元建設河川局長で今の財団に天下りした)は「既設固定堰とは第十のこと。250年安全だったと言うが、たとえ100回の洪水で99回安全でも、残りの1回が危険ならばだめ。それが安全にたいする考え方だ。書き直さなくて良い。」とばっさり!それって年収500万円の家が、掛け金1億円の火災保険にはいるのと同じ理屈でないの?
吉野川シンポと吉野川みんなの会が国交省に要望活動を行ったので、ムキになってイランことまで発言したのかもしれないな。(要望の内容はこちら)
この日は実質僅か1時間で、基本方針案どおりの基本方針が小委員会の結論として決定されてしまった。河川工学の専門家かなんか知らないけれど、「吉野川の事情を知らない人たちばかりが、徳島の川の未来を決定していく」さまを目の当たりにした。「霞ヶ関の机上の空論」とはこのこと。そして、住民の唯一の代表、代弁者であって然るべきと私たちが期待出来る知事代理・下保政策監は「徳島の意見を取り入れて頂いてうれしい。」というようなことを言ったのみだった。(それどころか「第十ではご迷惑をおかけしました。」発言だもんな〜。情けない・・・。)
傍聴していた元国会議員秘書は言った。「可動堰復活ののろしが上がりましたね。役人が『1円でも予算をつけてもらえ!そうすればいつか必ず事業は出来る!』と言っているのを良く聞きました。」お役人は次々に代わりがいるが、住民運動はどうなるのだろうか?
感性豊かな子どもたちを育てることがとっても大事な気がしてきた。
ポイント決まる!
小委員会終了後、いっしょに行った豊岡さんとも相談し、たくさんの方からメールや電話をいただいて、質問のポイントは「小委員会の結論を徳島県として認めて良いのか?(可動堰をやらないことが知事の公約でなかったのか)」ということになった。
質問を担当課につなぐ総務課の議会担当の職員の話では、担当課が答弁をつくり、それが上へ上へと知事まで決済をもらって、書き直しになるとまたその繰り返し。前日の夕方に質問をもらうと徹夜の作業になるという。
その点で大変ご迷惑をおかけすることになったが、この10年来、市民の方は報酬もなしで、何度徹夜し、何日何時間この運動に費やしたことだろう。私のように運動の端っこにいた者でさえ何時間もプラカードをもって街頭に立ち、車何千台にお辞儀をして訴えたことだろう。知事まで入れ替え、政治とは縁のなかった私や豊岡さんの運命もこれで変わったのだ。一晩くらいの徹夜は許してもらうとしよう。
早くから用意していた他の質問をいくつかカットして、できあがったのは当日午前3時。原稿を用意した時間は予想の答弁を入れて約60分、残りの10分は知事と出たとこ勝負ということにした。絶対に逃がしてはならぬ、とのみんなの声に、百戦錬磨の優秀な元官僚、飯泉知事に挑む、ひよっこ議員の私の緊張の一日になったのだった。
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