吉田ます子のでんでん日誌 |
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活動日記 2011年5月4日 |
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11月14日 民主党県連が来夏の参議院議員選挙の候補者を公募した。総選挙で仁木さんを応援された県西部や地元吉野川市の方々、また、市民運動の仲間たちなどから励まされ、悩んだ末に履歴書と作文を出したところ、県内(24名)外(11名)から計35人もの応募があり、びっくり!政治に関心を持ち、自らが「候補者になろう!」と思った人がぐんと増えたことに(5年前に中谷さんが公募で決定したときには応募は4人だった)、嬉しい驚きだった。 *応募に前向きな理由
*悩んだ理由
体力については、「どうしようか」と悩み始めた9月から、「悩む前に、まず行動!」と朝のランニングを開始した。学生時代、夏の大会(バレーボール)優勝を目指しての冬の体力づくりを思い出したのだ。 「出る資格」については、公募というフィルターをとおすことでその答えが出るのだ。別の人が選ばれたら、その人を応援すればいいのだし、自分に決まれば、自信を持って歩き始めればいいのだ。 10月7日に書類を提出した。10月15日に10名が1次審査を通過、2次審査は10月17日で9人の面接官による1時間の面接、そして3次審査は11月3日、4人で2時間の公開討論会が行われた。最終に残った他の3人はいずれも30代で、「市民感覚を大事に」と口をそろえるステキな人たちばかり。その中で決して若いといえない私を、審査委員の全会一致で選んでいただいたことに感謝。責任を果たすために、候補者としてやるべきことを120%やりきろうと思う。
内定をいただいた日から、「一人でも多くの人に会って、気持ちを伝えていこう。」と朝から夜まで東奔西走の日々が続いている。「勝てなかったときの不安」を心の奥にしまい、「地球の未来」「人間の力」を信じ、希望を持って一歩ずつ進んでいこうと思う。 党本部の決定はまだです。 公募の作文を掲載します。 政治に対する思い ところが、国際NGOのメンバーとしてアジア・アフリカの地を往来していた夫や子どもたちと共に、約1年半のアフリカから帰国すると、徳島は可動堰問題の渦中にありました。現地ニーズより日本企業への利益誘導になりがちなODAの一面や、グロ−バル化の始まった世界、広がる南北格差の中で、まじめに働いても豊かになれない構図を知らない最貧国の子どもたちの屈託ない笑顔に、地球人として日本にいながら何ができるのかを考え始めた頃でした。立ち向かうべき重要な問題は、国内にも、いえ国内にこそあったといえるでしょう。 第十堰問題は民主主義の学校 2)「地域のことは自分たちで決めたい!」:吉野川の運動は「可動堰反対運動」でなく「みんなで決めよう第十堰!」という地域主権を取りもどす運動として成功しました。優れたリーダーたちの存在、運動を支えた主婦を中心とした一般市民のチームワーク、川に対する愛着の勝利でした。この問題をとおして環境問題はもちろんのこと、政・官・業の癒着やひも付き補助金によって奪われる地域主権、情報公開の大切さ、など、多くのことを学びました。 下水道問題から町長選挙へ その頃、町ではあたり前のように買収や供応接待が行われ、公約もなく当選した議員が必要性や緊急性に乏しい、国言いなりの補助事業を行う首長のイエスマンとなり、借金を積み重ねていくことで、子どもたちの未来が奪われていきます。 地方財政は破綻寸前ですが、選挙で一人の議員を出すことの難しさも嫌というほど知りました。地方政治は人材不足、まずはお金のかからない選挙にしていくこと、仕事を辞めずに議員になれる仕組みづくり、女性も政治に出ていける風土づくりが必要です。 県議会 地域の再生は地方主権から 次に国政に行く者に求められているものは何か、私たちはどこに向かうべきか。02年に出された「地域再生の経済学」(神野直彦;中公新書)を読み返しました。まだまだ市場主義的発想のアメリカや日本が苦しむ中、文化や環境の再生を大切にしてきた欧州の地方都市には光が見えているようです。 産業構造の変化を伴う移行期の今、医療、年金、介護、雇用など生活のセーフティネットをしっかり張ること、また少子化時代を迎えて、教育や子育て支援に税金を使い、未来への投資をしていくことが求められており、無駄遣いの根絶や脱・官僚主義とともに民主党が支持される大きな理由でしょう。 その先には第一次産業の再生と地域再生があるべきで、「地方分権」「地域主権」の仕組みが必要であることを再認識しました。そして、その仕組みが生きるためには、草の根の市民との連携が欠かせません。吉野川の運動、「徳島県廃棄物問題ネットワーク」「地球温暖化を考える市民アクション」(28団体が賛同)など、市民運動に寄り添ってきた私には、国政と市民をつなぐ役割が担えるのではないか、との思いを強くしたところです。 今年50才となり、新人にして決して若くはない私ですが、25歳で徳島県民となり、二人の出産・育児と重ねて難病の義母の自宅介護の8年、海外から日本を見る経験もしました。パートと市民運動の10年、地方議員もさせていただきました。この春、二人の子どもたちは大学を出て独立しますので、今後の人生をますます社会のために尽くしたいと思います。 閉塞感で満ちていた政治の世界に、国民の投票による史上初の政権交代で希望の光が差しましたが、何もかもこれからです。もし来夏の参議院選挙で再び衆・参のねじれ現象が起きれば、改革への大ブレーキとなり、将来への損失は計り知れません。持続可能な社会をつくっていくために、残りの生涯の全てをかける覚悟です。 |
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