5月10日
地球人カレッジ「地雷畑で見た夢」
〜若き鬼丸くんの苦悩と挑戦
この日の地球人カレッジの講師、鬼丸昌也くんは28歳、2001年(大学4年生のとき)に立ち上げたテラ・ルネッサンスの代表を務める。テラ・ルネッサンスはカンボジアやウガンダで、地雷撤去や子ども兵に関する活動をしているNPOだ。

鬼丸くんと吉田(TICO代表)
二つの出会い
鬼丸くんは、高校時代にスリランカの農村開発指導者アリヤラトネ博士と出会い、「全ての人に未来を作り出す力がある」と教わる。その後、大学生のときスタディ・ツアーで訪れたカンボジアで、地雷の被害にあった人たちにインタビューをした。
「足を失って、これから自分はどうやって生きていったらいいんだ?」と問われ、何も出来ない自分を責め、無力感に絶望しかける。
そんな時、水俣市のイベントで、クリス・ムーンに出会う。彼は長野オリンピックの聖火最終ランナーとして有名な義足のランナー。開催国出身以外の最終ランナーはこのとき彼が初めてだったらしい。クリスは地雷除去団体で活動中に地雷で左手足を失ってマラソンランナーになった人。地雷廃絶を訴えて世界各地を走り続ける。
五体満足な人が完走しても感動するマラソンレースで、義足の彼が42.195キロを完走する姿を想像するだけでたまらない。雨の日は義足とホンモノの足の間に水がたまり、大変痛いのだそうだが、それでも彼は走るのをやめない。
「自分が走ることで、世界の人々が地雷の被害を知ってくれる。たくさんの人が地雷のことを知れば、いつか全ての地雷がこの世の中から撤去される日が来るかもしれない。そのために、自分は走り続けるんだ。」「変えられないものなんてない。何だって可能だ。自分のできることを精一杯するだけだ。」
ワーキングプアとよばれる人々の存在がクローズアップされ、格差の広がる日本だが、まだまだ貧困や飢えが日常的ではないこの国に住んでいると、普段見えにくい世界の悲惨な現状だけれど、知ってしまうと誰もが一度は陥る無力感である。
世界の現状は、日本の私たちの暮らしとつながっていて、少数派の議員でいた頃も、市民運動をしている今も、私も時々陥る無力感。10年以上もNGO活動を続けている夫も毎日悩み続けている。若い鬼丸くんも同じように悩んだのだ。今でも、眠りに着くときにはいつも悩んでいるのだと言う。
自分ひとりが地雷廃絶や世界平和を訴えても、誰にも相手にされないかもしれない。しかし、悲惨なことが起こっていることは否定しようなのない「事実」、それなら、事実を「伝えていこう」。テラ・ルネッサンスはこうして生まれたNGOだ。
地雷の現状
世界中に、今も6000〜7000万個の地雷が埋まっている。貯蔵されているものを含めると2億3000万個。2007年は世界で5751人が犠牲になった。20分にひとりが被害にあっている。1個当たり300〜3000円と安価で流通しやすい。地雷は誰かが踏むまで地中に残る。
1997年:「対人地雷全面禁止条約」締結
1998年:日本、同条約受諾
2003年:日本保有の対人地雷のうち訓練用を除いた全ての地雷を廃棄
世界では毎年10万個の地雷が除去されるが、それ以上の地雷が新たに生産されている。
全面禁止条約の締結には、ノーベル平和賞を受賞した「地雷廃絶国際キャンペーン(ICBL)」というNGOのネットワークが果たした役割が大きいそうだ。ICBLの始まりは、たった6つのNGOだったという。
国連軍縮会議ではなかなか進まないので、賛同する国だけで話し合い、条約を成立させようとする新しい道筋「オタワプロセス」を作り上げた。国家の専権事項だと思われていた軍縮に市民の力を注ぎ込んだのは大きな功績。同じように、クラスター爆弾についての禁止条約がこのあとオスロで締結されることになる。初めはどのNGOも、ごく少数の人たちの思いでつくられたはず。そのネットワークが世界平和への道を一歩ずつ前進させていく。世界は常に変化している。一人ひとりの変化が、新たな世界への変化につながると勇気を持ちたい。
20歳も年下の鬼丸くんに、たくさんのことを教わった。若い人が頑張っていることは、おじさん、おばさんを元気にさせるのだ。話のとっても上手だった彼も、人前で話をするのにまだ慣れない頃は、緊張の中、知り合いのいるところに「話をさせてください!」とどこにでも飛び込んでいったという。今では年140回の講演をこなし、著書「ぼくは13歳 職業、兵士。」も有名だ。この日、2冊目の著書「こうしてぼくは世界を変えるために一歩を踏み出した」を購入し、サインしてもらった。

「吉田さん ひとりから始める ひとりから変わる 鬼丸昌也 08.05.10」と丁寧な、誠実な文字を書いてくれた。

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