吉田ます子のでんでん日誌 |
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活動日記 2011年5月4日 |
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11月2日 昨年の夏、徳島で「川の全国シンポ」が開催されたが、第2回目があることは、想定外だった。が、嬉しいことに、今年(もう昨年ですが・・)の秋、京都で第2回目が開催された。 97年の新河川法で、初めて法律の中に謳われた「住民参加」というビジョンを受けて発足した「淀川流域委員会」は、その民主的運営と数百回に及ぶ徹底的な議論・調査から「淀川方式」と呼ばれた。国交省の計画の5つのダムに「見直し・凍結」を提言し、全国の川問題について活動を続ける人たち、大型公共事業に疑問を持つ一般市民の注目と期待を集めてきた。 御用委員とも批判される国の選んだ学識経験者たちが、国のつくった原案を追認するだけになりがちな中央の河川審議会や各地の流域委員会。ところが淀川では、住民参加の「準備会」で委員の人選から行い、国でなく委員たち自身が原案をもつくり、国ではなく第三者機関が事務局をやるという奇跡的運営が行われたのだ。 仕掛け人は、当時の国交省近畿地方整備局淀川河川工事事務所長の宮本博司さん。ダム屋のエースと言われていた彼は、長良川河口堰反対運動で住民の矢面に立ち、「住民に信頼されない河川行政を変えよう!」と立ち上がったのだった。その淀川流域委員会がこの6月に突然の「休止」となったかと思うと、国交省は委員会の意見をきいて一度は凍結した大戸川ダムを、勝手に復活させたのだった。
国交省を辞め、自らが公募の委員となり、委員長に就任した宮本さんら第3次委員会が出した結論も大戸川ダムは中止。国は委員会を一方的に打ち切り、見切り発車をした。自らの諮問機関である流域委員会の提言を無視するという、誰が考えてもとってもおかしい国交省。これも行き詰った行政の末期的症状なのか。 ところが、京都、滋賀、大阪、三重の知事たちが「ダムは要らない」「地方の負担金は出さない」という意思を表明。地方の反乱である。いよいよ川の地方分権の始まりなのか? 今、河川行政はどういう立ち位置にいるのか、これからどうしていくべきなのか、様々なテーマを住民から社会に向けて発信しよう、そして、川の地方分権の後押しを住民からしていこう!こうして2回目の川の全国シンポの企画が始まったのだった。
琵琶湖博物館の館長、川那部先生を実行委員長として、徳島からは、代表の豊岡和美さんを中心とした吉野川みんなの会のメンバーが関西まで何度も足を運んで準備に加わった。第2回の川の全国シンポが京都大学キャンパスにて行われたいきさつである。
若者たちの頑張り 川の全国シンポには、吉野川流域からも18〜30歳の若者たち参加し、近畿圏の若者たちとともにいくつかの「プレ・イベント」でシンポを盛り上げた。「淀川でカヌー体験」「丹生ダム計画地へ見学ツアー」「近木川(こきがわ)ワークショップ」「京都サイクリングツアー」「京都大学吉田生協で前夜祭」の5つだ。企画から運営まで全て若者たちだけで行った。 近木川は90年代に2級河川水質ワースト1を2回経験した川だそうだ。しかし、そのことをきっかけに市民の果敢な取り組みがあったという。淀川のカヌーでは、カヌーに乗るのは初めてというたくさんの子どもたちが川遊びを楽しく体験してくれて、若者たちは大きな手ごたえを感じたようだった。 シンポの意味を学び、自分たちらしくできることを考えて、体当たりで実行した彼ら。いきいきとのびのびと大きく成長したことだろう。前夜祭では彼らの報告を聞き、いっしょにお酒を飲み、雑魚寝をした。礼儀正しく、てきぱきと行動する彼らは頼もしかった。 吉野川シンポジウム代表の姫野さんも、川問題を受け継いでくれる若者たちが愛しくてたまらないようで、吉野川の若者たちとともに頑張った京都の若者をメールで紹介している。 【以下、メール抜粋】 川の全国シンポに向けて、徳島でも京都でも、若者たちが動き始めています。 一昨日、京都に行った際、精華大の学生たちとお茶を飲みました。川の全国シンポの事務局が困っていること。それを知った徳島の人たちが、この川シンポのチラシを引き受けたこと。そのためのカンパを呼びかけていること。運動とは、そのようなひとりひとりの思いが、作り出していくこと・・・、そんな話をしました。 2日後、ある女子学生から思いもかけぬメールが届きました。『きのうまちなかで川のシンポのチラシを 100 枚ほど配りました。徳島のひとたちのおもいで作られたものだと教えてもらったから、見知らぬ人に伝えようとして断られてもこわくない。』 彼女は、たった一人で、生まれて初めて、京都の雑踏でビラ配りをしたのです。ぼくは、徳島の10年前(住民投票)を思い出しました。あのときも、ひとりひとりが、生まれて初めて、街頭で見知らぬひとに語りかけました。見知らぬ人どうしの共感が生まれ、やがて街中に広がり、そして奇跡が起こったのでした。 ぼくは、忘れかけていた大切なものを、彼女から教えてもらった気がして、「思い出させてくれてありがとう」と心からお礼のメールを返しました。 (抜粋ここまで) *** 町中で知らない人にビラを渡すのって、歳を食った私たち、しかもセンキョに出る勇気のあった私でさえ結構勇気がいるものだ。彼女の思いがどうだったのか、想像すると胸がキュンとなる。 ちなみに徳島駅前などでは、ビラを受け取ってくれる人、くれない人の割合は半々くらい。反応がいいのは年齢50台以上か10〜20代前半の若い人。無関心もしくは嫌な顔されるのは、20代後半から30台くらいの人。断られると胸がズキンとなるが、めげずにやっていると優しい言葉や励ましの言葉をくれる人もいて、ジ〜ン・・・。そしてまた元気が出てきて、予定の時間、枚数をなんとか続けられるのだ。「ビラ配りは人生そのもの」という感じだ。配っているビラの内容に関係なく、配る人の気持ちになれる人、なれない人っているような気がする。 そして1日目 1日目は、淀川流域委員会の2代目委員長である寺田武彦先生(弁護士)による、河川法改正の意義を学ぶ基調講演、PHP総合研究所代表の江口克彦さんによる地方分権と道州制推進(広域行政の必要性)の話(市町村合併と同じようでは結構危険な話)、淀川流域委員会参加者からの発信、全国からの川問題に関わる参加者からの発信では、吉野川からは姫野さんが流域委員会さえ設けなかった「吉野川方式」の報告を行った。 京都、滋賀の2府県知事の講演もあった。嘉田知事の話は何度か聞いていたが、京都の山田知事は初めて。自身がつくられたパワーポイントを駆使して、自身の言葉で「基本高水」など川言葉もちゃんとマスターされていて、「すごいな、忙しい中にも重要ポイントを租借して、時代を切り開いているな」という感じがした。
特別出演の加藤登紀子さんが語った八ツ場ダム建設予定地の温泉の人たちの話は、ダム建設に翻弄され続けた人たちの悲哀に満ちて悲しかったが、そこからの再生、希望をつくる人間の優しい強さをお登紀さんの語りと歌で感じることができ、参加者は胸が熱くなった。フィナーレは、お登紀さんと嘉田知事との「生きている琵琶湖」デュエット。会場は大きな感動に包まれた。
(2日目に続く) 生きている琵琶湖(詞、曲:加藤登紀子) *湖、琵琶湖をそのまま川、吉野川に直して歌えますね。 こんなにたくさんの水はどこからきたんだろう |
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