8月11〜12日(1日目)
川を流域住民(あなた)がとりもどす全国シンポジウム
380名の呼びかけ人(代表は宇沢弘文先生:東大名誉教授)により、約6ヶ月の準備期間を経て開催されたシンポジウム。
呼びかけ文(一部抜粋)
1997(平成9)年に河川法が改正され、その目的に治水と利水のほかに「河川環境の整備と保全」が謳われ、「必要があると認めるときは」という前提付きで、関係住民の意見を反映させることになりました。これを受けて、淀川水系流域委員会や武庫川流域委員会のように、積極的に住民の意見を反映させる措置が講じられてきましたが、ここに来て国交省は、淀川水系流域委員会を休止、吉野川や利根川では流域委員会の設置要望にもかかわらず、自治体の首長・学識経験者・住民の三者を分断して意見を聴き置くという方向に転じ、第十堰の可動堰化を選択肢に残し、川辺川ダム(熊本県)、山鳥坂ダム(愛媛県)、設楽ダム(愛知県)、川上ダム(三重県)、丹生ダム(滋賀県)、八ッ場ダム(群馬県)、淺川ダム(長野県)、小国川ダム(山形県)、サンルダム(北海道)などのダム建設や木曽川導水路計画を強行する構えになっています。この事態において、川の自然環境を尊重し、川文化を再構築しようとしてきた人々が結集して、流域住民の意見を具体的に反映させるよう、強く要望する必要があると考えます。そのために、250年の歴史を刻んでいる第十堰に対して住民投票で住民の意思を明らかにしている徳島を舞台に、「川を流域住民(あなた)が取りもどすための全国シンポジウム」を開催したいと企画しました。
(全文はこちら)
超豪華なゲストたち
2日間のゲスト(出演者)は、川辺川ダム建設予定地の熊本県相良村の矢上村長、歴史的な淀川流域委員会の生みの親でその後国土交通省をクビになった(?)宮本博司さん(彼は第2期淀川流域委員会の委員公募で、開催直前の8月7日に委員長に就任、「時の人」となっての登壇!)、全国知事会を始め地方6団体に諮問を受けた新地方分権構想検討委員会の委員長を務めた東大大学院経済学部の神野直彦教授(飯泉知事の大学時代のゼミの教授)、滋賀県の嘉田由紀子知事(出番のない1日目を含めすべてのプログラムと懇親会にも出席。1日目のシンポでの議論を聞いた夜、2日目のプレゼン用パワーポイントを自ら手直しするほどの力の入れようだった)、淀川流域委員会の前委員長で京大名誉教授の今本博健さん、武庫川流域委員会委員長の松本誠さん、吉野川ではおなじみカヌーイストの野田知佑さん、姫野雅義さん、中村敦夫前参議院議員、大熊孝新潟大教授、東京大学愛知演習林の蔵冶光一郎さん、そしてオープニングを飾るジャズピアニストの河野康弘さん、という超豪華な顔ぶれで、川に関わる人々にとってはかなり興味深いシンポジウムだ。
しかし、「河川行政への住民参加=流域自治」という難いテーマが、1000人という大きな会場のシンポを成功させるために会場に足を運んで、川に興味を持ってもらいたい地元徳島の一般のみなさんにはたして受け入れられるのか。
蔵冶さんは「当初の呼びかけ文には国交省の逆戻りを正すことがその主旨として記されており、全国で国交省に対抗する「運動」をしている人が集結して反旗ののろしを掲げる集会のようにも見えた。が、委員会での説明では、そうではなく「川に関心のない人にも参加を呼びかけ、関心を持ってもらう」方針が示され、反対運動の結集という一般参加者が退いてしまいそうな過激さを薄める方向になった。この方向性は、7月7日の委員会で、宣言文の原案にあった「国に対する要求」を、参加者一同が同意し決議する「宣言文」ではなく、実行委員会名で提出する「意見書」に移行し、宣言文は他者に何かを要求するのではなく、あくまで住民みずからの現状認識と今後の行動目標を示すものとする、という提案に合意が得られたことで、さらに加速された。」と振り返る(呼びかけ人MLより)。
企画の中心となった徳島市議の村上稔さんは「今回心配したのは、参加者が専門家から一般の素人まで幅が広く、みんなが満足できるものが可能だろうか、ということ。結果としては、専門度と素人度の両極には届いてないとしても、かなり幅広い射程でアピールでき、「大成功」と言える。」と評価した。
宣言文(PDF書類)、http://www.daiju.ne.jp/kawashimpo/senngennbunn.pdf
意見書(PDF書類)
徳島では毎週夜遅くまで準備会を重ね、企画・内容のほか、全国からの来場者が満足し、阿波踊りと重なる開催時期に心配されるさまざまな事態にも対処するため、連日確認作業が繰り返された。運営には60名のボランティアが登録、地元の徳島大学、四国大学を初め京都精華大の学生さん、川の学校のスタッフやOB、自然スクールTOECのみなさんの若い力をいただいたのは何よりうれしいことだった。
8月5日、本番直前リハーサルでは「川の問題は100年スパンで考えて今、大きな曲がり角。参加者のみなさんが何かを発見し、それぞれの持ち場でそれを生かしていく、元気になってみんなが帰っていく、気持ちよく、リラックスして感性を解放できるようなシンポジウムにするために、阿波踊りのお接待の精神でいきましょう!」と、姫野さんがあいさつ。スタッフ一同、心が一つになった瞬間だった。
チケット苦労ばなし
準備会での私の役割は、県内チケット(2日間通しで1枚1000円)の販売総括。目標入場者(県内)を500人とした。キーになりそうな人、約50人にそれぞれ5〜100枚のチケットを預け、約10日に一度「今、何枚売れてますか?引き続きよろしくお願いします。」と電話で確認と催促。チケットが刷り上ったのが6月上旬、第1回目の集計が164枚、2回目228枚、開催10日前にもやっと311枚…。「大塚講堂は大きすぎるよなぁ。もっと小さな会場にするべきだったよなぁ。」と毎日思っていた。
苦労の連続だった事務局の巣山くん(吉野川みんなの会)が、チケットが刷り上がった頃「吉田さん、チケット、最終的には何枚売れると思いますか?本音を聞かせてください。」とこっそり訊いてきた。流域委員会、河川整備基本方針など一般には耳慣れないキーワードの並ぶシンポジウムがお互いにとっても不安だった。「最悪は200〜300、みんなで最高に頑張れば500くらいは大丈夫かなぁ…。頑張ろう!」と励まし合った。
開催10日前に販売枚数がまだ300枚ということでお尻に火がついた。
徳島準備会メーリングリストでの呼びかけ:「県内向けチケットの販売状況は、現在311枚!このうち、協力金という意味での買取も相当数あるでしょう。熱気溢れる会場にするにはまだまだ、もうひと頑張り、ふた頑張りが必要です。これまで数々のハードル(イベント多数、住民投票、徳島市議選、3度の知事選、県議選、etc.)をギリギリまでかかって懸命にこなしてきた私たち(私だけかも?)です。この1週間、火事場の○○力を発揮していきましょう!」
その後、地元紙も大きく掲載してくれ、事務局の電話は鳴りっぱなし、最終的には650枚以上の売り上げ、県外からは380名もの参加があり、会場は2日間述べ約1400名が入場。シンポの内容もさることながら、参加者数としても大盛況となった。あ〜、よかった!
シンポジウムレポート〜1日目
河野さんのピアノによるオープニングのバックに、元気な川ガキたちの写真。10年前、徳島での水郷水都全国会議の感動のオープニングがよみがえる。優しいピアノ伴奏により全員で歌った「ふるさと」。「水は青き…」のところではいつものように涙ぐんでしまう。
基調トーク「社会的共通資本としての川」
お盆の混雑で第1幕に登場予定の宇沢先生の東京よりのバスが大幅に遅れるというハプニングもあったが、途中無事到着され、胸をなでおろした。
宇沢先生提唱の社会的共通資本の考え方:豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置を意味する。具体的な形態は3つで、
1)自然環境、
2)社会的インフラ、
3)制度資本。
河川や森林も社会的共通資本である。官僚的基準によって管理されてはならないし、市場的基準によって大きく左右されてはならない。第十堰の可動堰化に当てはめてみると分かりやすく、なるほどとうなずける。
大熊先生のお話:「これまでの河川の定義=地表面に落下した雨や雪などの天水が集まり、海や湖などに注ぐ流れの筋(水路)などと、その流水とを含めた総称。これでは水は必ず循環するように思え、ダムを作ることに良心の呵責を感じない。新しい定義=川とは、地球における物質循環の重要な担い手であるとともに、人間にとって身近な自然で、恵みと災害という矛盾の中に、ゆっくりと時間をかけて、地域文化を育んできた存在である。」
河川工学の専門家しての大熊先生の存在はありがたい。「ダムや堤防で完全に洪水を防ぐことは不可能、あふれても壊滅的な被害をもたらさず、死者も出さない究極の治水を求めることの必要性」を強調。「地域条件の違いにより、どうしても完全な平等性を貫けない治水問題で、国交省が一方的に治水安全度を決めるのでなく、地域の信頼関係の下での話し合い、相手の立場を尊重しながらの話し合いは、環境を破壊せず、経済的にもリーズナブルな合意点に達することは可能だ」と言い切るのはお人柄ではないのか。しかし「実際30年前には「どこを越流させるのか」、地域間での話し合いが新潟でも行われていた」という。私たちは失ったものを取り戻せるのだろうか。
全国川マップ「今日本の川で何が起こっているのか」
蔵冶先生(元青年海外協力隊員(マレーシア:森林))は気鋭の森林水文学者。お任せした第2幕は。初めての河川法制定から120年の歴史を映像と音声で振り返り、静かに問題提起される手法にセンスが光る。グループ長である「青の革命と水のガバナンス研究グループ」のHP に内容がアップされている。
シンポジウム「河川法改正から10年?それぞれの挑戦」
会場アンケート「印象に残ったプログラムは?」では、45%と断然トップ。「素晴らしい顔ぶれと司会力。会場も交えた深い議論。立体的でおもしろかった(23才女性、33女、46男、51女、60男、61男、64男)」という意見に同感。
川辺川ダム建設予定地、相良村の矢上村長は1960年生まれ、衆院議員2期8年の経験を持つ。「政治家は人に嫌われたくないもの。代議士時代、地盤を支えてくれた市町村長らはみんなダム推進。5600人の村で国に逆らっても無駄、町村にとって国の補助金は大きな財源だ。ダムには反対して他の補助金はお願いすることはできない、と思っていた。しかし、9割の住民がダム反対の中、地元の人とダムに反対して一緒に苦労しよう、と決心した。
社会を変えようとするときに先に変えるべきはまず自分の心。議会も11人中9人がダム反対派。自分は今日の村祭りの実行委員長だが、「このシンポに出ることは名誉だ」と村民が送り出してくれた。」短い間だけれど政治家を経験した私にとって、心にしみる話だ。
元国交省お役人の宮本さんは「明治29年の河川法制定から昭和39年の改正まで、建設省の洪水対策と水資源開発に対して国民的コンセンサスがあった。しかし今は、単純でわかりやすい目標設定は困難であり、平成9年の河川法改正は長良川河口堰に対する国民の不信感であり「勝手にするな!」という思いの結果。国交省もかつての「任せてください!」から今は「勝手にしません。」に変わっていった。
淀川流委は、一般傍聴者が最後に意見を言うことができたが、そのポイントをついた意見に何度も感動し救われた。マスコミも勉強し協力的に報道してくれた。自分たちが市町村長に説明に歩くなど新しい流れに目を輝かせる国交省の職員がほとんどだ。今の河川法の枠内でも、地元のやる気さえあれば住民参加は十分可能だ。」と言い切った。
その宮本さんが行政マンとしての良心で臨み、公正な委員の人選から審議する準備会を経て設置した淀川流域委員会の委員長を務めた今本さんは、「委員会は3年間で500回(部会を含める)も開催され、面白く、しんどかった。自分は河川工学の専門家だが、はじめ環境のことは分からなかった。河川法の3本柱は治水、利水、環境というが、三本柱ではなく、環境というベースがあってその上に治水と利水があるのだと今は理解している。委員会は5つのダム計画のうち2つのダムの中止を答申したが、その後突然中止となり、何も変わらず、宮本さんがクビになった。再開する流域委員会にその宮本さんが公募し、なんと委員長に選ばれた。注目していきたい。」
松本さんが委員長を務める武庫川流域委員会は、県の管理する2級河川、武庫川の基本方針と基本計画を同時に審議している。近年の集中豪雨による河川改修やダムだけでは対応できない水害が都市部で発生し、総合的な治水対策が必要と判断した知事がダム計画を白紙化。合意形成の新たな取り組み、ゼロベースからの基本方針策定を目指し、知事の諮問を受けて設置された。事務局による原案はなし、2年半で230回開催され、7月に提言書を出したところだ。総論では合意できても各論となると難しく、田んぼを治水利用することもままならない。利水の既得権への切込みに躊躇する縦割り意識の壁、河川行政の中央志向からの脱却、100年のしがらみの深さ等々、さまざまな壁にぶつかってきたという。
メインの議論は、現河川法での住民参加は可能なのか、それとも法律の改正が必要か。
宮本:今はベストの法律ではないが、地域のやる気で何でもできる。いくら法律に住民と話し合いをしなさい、と書いてあっても見せかけの話し合いはできるのだし。
野田:92年、リオの地球サミットで武村河川局長(当時)は「住民と話し合いはしません。理解してもらいます」と言い切った。
松本:同じ法律でも地域によって大きな差がある。憲法や法律では主権者は国民なのに、国や行政にお任せになっている。2000年の地方分権一括法もできた。現場が変われば変えられるはず。
会場からも活発な意見が出された。愛媛県の肱川、山烏坂ダムでは、住民投票までやったのに、住民参加のない流域委員会でダム案が決定。長野県の淺川ダムでも「脱ダム宣言」を壊す突破口として、穴あきダムが検討されている(シンポジウム終了数日後に国交省が認可)。
これらを受けて、矢上村長が、「裁判で勝てるような、法律の改正が必要だ。国に対して意見書を出す。子どもたちに魚の棲めるきれいな川を残したい、当たり前のことをなぜ、みんな政府に言えないのだろう。当たり前のことを当たり前に表現できることが川を取り戻すこと。新しい時代を一緒に作れる喜びを感じながら頑張っていきたい」
第2、第3の今本、宮本、矢上に出てきてほしいものだ。


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