吉田ます子のでんでん日誌 |
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活動日記 2011年5月4日 |
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9月23日 新政権が「八ツ場ダム」について、早速動き出した。10年前の吉野川可動堰住民投票をきっかけとして、全国のナンセンスなダム計画に立ち向かう人々とのネットワークに加わっていた徳島の仲間たちと、やっとこの問題が全国的にメジャーとなったこと、議論の始まりを歓迎した。 しかし当初のマスコミは、「これまで50年以上の長きにわたって翻弄され続けてきた地元は、「ダム中止宣言」に反発、事業の進捗率(実は予算の消化率)がすでに70%なのに、いまさら中止とはけしからん!」というのが総意であるかのように報じていた。そして突然の中止宣言で宙ぶらりんになった建設中の橋の映像が大きくTV画面に映し出され、事情を知らない人が見たら「中止は無茶!」というような印象を与えかねないようなやり方に、「もっとちゃんと取材してよ!」とイライラが募ったのだが、やっと最近になって事の真相が報道されるようになってきた。 ごく簡単にまとめると、
詳しくはまさのあつこさんのダム日記2「八ツ場ダムの七不思議」参照 とはいえ、長い反対運動の果てにダムを容認せざるを得なかった地元の方々にとって、政権交代後に「ハイ、中止」といわれれば、様々な感情が沸きあがるのは無理もない。しっかりと地元振興策が議論され、行政はこれまでの経過をきちんと検証、謝罪して(本当に謝るべきなのは誰?)出来るだけのことをしていくしかないのではないだろうか。 香川では内海ダムが お隣の香川県でも、小豆島の内海ダム問題がある。高松市でシンポジウム「私たちは川とどう生きるか」があるというので吉野川みんなの会のメンバーと参加した。何度聞いても聞き惚れる宮本博司さんの基調講演つき。
内海ダム問題とは昭和34年に完成した別当川にある県営ダムの再開発で、新しいダムは貯水量7.5倍、堰堤の高さは2倍の42m、幅は3倍以上の447mというもの。昭和51年程度の洪水に耐えられるための再開発というが、51年災害では、床上、床下浸水はあったものの、県がパンフレットなどに使っている土石流による大きな被害がでたのは別当川ではなく支流の西条川など。 また、ダムは国立公園寒霞渓の真下にあり、景観上も大きな問題。水需要がさらに増加するという県の予測も、人口減と節水型トイレの普及などで説得力を欠く。例によってダム工事での経済効果も期待されるというが、一時的なものだろうし、景観を守って恒久的に観光客をよぶという考え方もあるだろう。97%の土地が高額で買収され、拒否された3%の土地は強制収用、その取り消しを求めて訴訟も起こされている。 この日、小豆島から高松市内のシンポジウムにパネラー参加された原告の山西さんは醤油メーカーの社長さんで、その醤油が給食センターからはずされたり、親戚の役所職員が見せしめ人事にあったりと苦しそうに語られた。
「島には行政や第3セクターなど公務員や準公務員が多く、ダムは要らないと声に出せない人が多い。小豆島のすばらしい自然をどうするのか、ダムをつくるか、つくらないかは、金にまみれた今の世代が判断すべきでない。子どもたちにまずは美しい寒霞渓を残していかなければ。」としっかりおっしゃっていた。
他に来られている原告団の方々も70歳は過ぎているだろうご高齢の方ばかり、激動の昭和を生き抜いてこられてなおダムに苦しめられていることが本当に痛々しい。弁護団の谷脇弁護士は、高知から「自分でお金を払ってでも(弁護を)やりたい事件」と参加している。
別当川の河川整備基本方針、基本計画がつくられるに当たっての調査は非公開で「生き物がいないから、環境影響なし」という結論だとか。県の流域委員会は説明も合わせてわずか2時間で終了したという。 元国交省のダム屋のエース・宮本さんは「私はいろいろなダム計画について、1度や2度現地を見ただけでは極力評価しないようにしているのですが、」と前置きした上で「それでもこの内海ダム計画を知り、現場を見たときには『これはないだろう!?』と思いました。」という。新政権は脱ダムの方針だけれど、すぐおとなりの香川県でのこのダム計画、はたして地方では止めることができるのだろうか。 |
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