4月28日
選挙区と定数、これが政治というものか!?
臨時議会招集
旧三好郡は町村合併により東みよし町と三好市となった。旧三好郡の県議定数は3人で、公職選挙法違反の逮捕者が出たため欠員1のままで3年間が過ぎたが(欠員が2以上になると補欠選挙が実施される)、三好郡が郡と市に分かれたことで、「旧・三好郡で定員3」のところが「三好市で定員2」と「東みよし町で定員1」と、細かい区割りに変更になった。
私たちは、(1)選挙費用のこと、(2)この3年間、2人の県議で特別な支障がなかったことから、区割り変更は1年後の統一選の時が適当だということを主張したが、多数決によりすぐに補欠選挙が行われた。辞職した元県議の息子が出馬表明し選挙戦突入前までほぼ独走態勢ときいていたが、蓋を開けてみると、直前に立候補した元三好町長の西尾氏が当選された。で、西尾氏の所属委員会を決めるため、臨時議会が招集された。
喧喧諤々の区割り&議員定数
昨年末以来、県議会の区割り、議員定数について「選挙区等検討委員会」で議論が重ねられてきたのだが、それぞれの選挙区事情をかかえた議員自身が委員になっている委員会で議論がほとんど進まないままに時間は過ぎ、この検討委員会では結論を出すにいたらず、とうとうこの日の臨時議会で議員定数が決定することになった。
選挙の「区割り」について、吉野川市のように旧麻植郡がそのまま全て同じ市になったところは同じ選挙区にすんなりと移行したのだが、旧・三好郡の場合や旧阿波郡と板野郡の一部(吉野町と土成町)がいっしょになって新・阿波市となった場合など、「区割り」の検討が行われた。
結果的には、阿波市の場合は定数2人のところに空白(欠員)ができたのだが、旧・板野郡選出の5名の議員から「くじ」で阿波市担当を選んでまで無理に空白を埋めるのはなじまないとして、5人全員が阿波市民の付託も受けているということで残りの任期を全うすることとなった。まあこれはこれで良いのかな、と思う。
しかし、先ほどの東みよし町の場合は多数決ですぐに選挙することになり、有利な候補者がいるかどうかでものごとを決めるというやり方にはやや疑問が残った。(結果として、県議40名の中で唯一首長経験のある西尾さんが県議になられたことには大いに期待しているのだが、これはこれで別の問題)
さて議員定数だが、初めに県の確定人口に対して、地方自治法により何人までの県議会議員が許されるか、という上限があって、これが徳島県の場合42名。今の定数は、上限ギリギリいっぱいの42名になっているが、全国的には上限いっぱいの定数を保っているのは徳島を含めてこの時点で5県。
市町村合併で首長や市町村議員が数を大幅に減らす中、県議だけが「現状維持」、というのは県民感情として許されないのではないだろうか? 私は、基礎自治体(市町村)の議員は間口を広く持つという意味で、上限いっぱいの定数を保つべきとも思う。議員報酬や視察、政務調査費の見直しなどで経費節減を対応すればいい。しかし、県議の場合は、この3年間定数より3名少ない39名で特別の支障もなかったと思う。上限いっぱいどうしても必要とは思わない。出来るだけ区割りを大きく広げて1人区を減らし、全体の定数も減らすべきと思っている。県民ネットは初め現行より4人減の38人を主張した。
定数をひとつ減らすのも大変なことだった
しかし、どの選挙区を何人減らすか、という具体的且つ納得のいく案が必要だ。各選挙区別の定数は、全定数に対してそれぞれの選挙区の人口が、全県の人口に占める割合で決まる。つまり、全県の定数を42とすると、吉野川市の場合は2.37(=定数2)となる。徳島市は14.03(定数13)、板野郡は4.95(定数4)など。一方、勝浦(勝浦、上勝)0.42,那賀0.55など、定数1を大きく割り込むところが出てくる。0.5未満のところは「強制合区」と言って、他の選挙区といっしょの選挙区にしなければならないという法律になっているが、「選挙区の事情により」という特例措置があり、勝浦選挙区はこの特例措置を10年以上適用しているのだった。
まず、県議会として定数をひとつでも減らすという意志があるなら、まずはこの強制合区から手をつけなければ始まらない。しかし、勝浦選挙区の議員は最大会派の有力議員の岡本氏。議会内では各委員会の委員長として活躍、気配り上手、委員長あいさつも議会事務局の用意した原稿の棒読みもせず、心のこもったあいさつをされる議員だ。検討委員会では、身内会派からは強制合区の声が出るはずもなく、定数減はなかなか実現しそうになかった。
そして多くの時間を費やして、何とか勝浦を小松島に合区するけれども、新選挙区での定数は2(元小松島選挙区)+1(元勝浦選挙区)=3とすることで、定数を減らさないならば合区してもよい、という改革・一新会の出した条件に私たちもやむなく乗り(ここで私たちの主張は定数38から39に変わった)、最終的に各会派が出した案は、共産党、自民新政会、自民明政会が定数42、自民交友会が41,公明党41,改革一新会、新風40、県民ネット39とバラバラだった。「このままでは、自民公明が42にすりあわせ、その他の会派はバラバラでまとまらず、結局多数決で定数減はならず42のままになる。何とかひとつでも減らせるような案を他会派でまとめてもらって、私たちもそれに乗ることにしよう」と本田さんと話し合った。
アッと驚く結末
私たちの予測に反して、臨時議会の前日の夕方に自民会派が徳島選挙区を2減、板野選挙区を1増、合計1減、で定数は41、という案をまとめた。「公明党が乗らなければどの案も廃案、結局定数は42のままになるのでは?もしかして私たちがキャスティングボードを握る?自民案に乗るべきなのか」と、朝の汽車の中で思ってみたが、結局悩む必要なく、公明党は自民案に乗った。
マスコミの論調もだんだん厳しくなってきて定数を減らさなければすまされない雰囲気の中、自民20、公明2、その他18という現情勢を、次の選挙で出来るだけ有利に変化させるべく、最も自民系の弱い徳島選挙区(定数13中自民2(欠員1))の定数を2つ減らし、与党の強い地方をそのままにするという党利党略、派利派略見え見えの策略を堂々とやられてしまったのだ。
転んでもただでは起きないというか、逞しいというか・・・。つまり、定数減という世論にも応え、大きな会派の有利な選挙にもなるという1石2鳥を数の力を最大限に利用してやってのけたのだ。これが政治というものか・・・。結果の善し悪しは別として、これまで体験した最高の政治的決着だった。さあしかし、これで来年の選挙の構図がはっきりして、みなさん選挙モードに突入である。
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