11月7日
筑紫哲也さん逝く
一度も会ったことのない人の死で、とめどなく泣いてしまったのは3人目。
一人目は1989年、手塚治虫さん。「ブラックジャック」や「火の鳥」を読んで大きくなったかつて漫画少女の私である。二人目は2006年、灰谷健次郎さん。神戸の酒鬼薔薇殺人事件で犯人(当時中学生)の写真の週刊誌フォーカス掲載に抗議し、彼の児童文学のほとんどを手がけた新潮社に執筆拒否宣言、すべての版権を引き上げた。「兎の目」「太陽の子」は名著。
そして筑紫哲也さん。第十堰問題や下水道問題など、地方政治に巣食う業界との癒着、そしてイラク戦争への怒りから、自らが政治の世界に入っていってしまった私にとって、小さな会派で議会にいた頃、そして今も市民運動をやりながら、「自分らの環境や平和の活動は世の中の少数派に過ぎないのかなぁ・・・」と落ち込むとき、彼のNEWS・23「多事争論」にどんなに慰められたことか。年を重ねるごとに益々カッコよかった筑紫さん、最後の仕事となった「多事争論Web版」を発見した。
あれから毎日のように聞いているが、まだ涙なしには最後まで見れない。「この国のガン」と題した、約7分間の長い最後の「多事争論」。先進国が国家予算の5%を教育費に当てているのに対して日本はその7割の3.5%。医療費の割合もとても少ないそうだ。そうさせているのが公共事業費の割合の異常さ(このところ、熊本県の川辺川、淀川流域の大戸川ダムなど、地方の反乱として潮流を得たような「ダム問題」もそういったところの善い変化の兆しかもしれない)。
本来弱い者たちのため(医療)、そして未来のため(教育)に使われるべき税金を、社会に巣食う政・官・業の癒着が吸い上げてしまい、この国の政治を機能不全にしていく。それはまるで本来正常な細胞に行くべき栄養を取り上げて増殖したガン細胞により、身体が機能不全に陥っていくことと同じだと。そのことを最期まで主張して逝った筑紫さん。核心をつく厳しい言葉を、なぜあのような優しいまなざしで語れるのだろうか。あなたに比べると、小さな小さな存在の私たちだけれど、遺志を継ぐ人はたくさんいますよ。ご冥福を心からお祈りいたします。
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